2016.12.01
第2回 担当 宇田川森和
現代詩人の守備範囲を昭和初期から敷衍し、代表的詩人の作品から「新しいことば」探しをしてみる。

故郷の海だ 雨が降つてゐて 濁つて 泡だつて。 —伊藤整
伊藤整(1905〜1969年)と聞けば、チャタレイ裁判の被告。あの小説は猥褻であることの騒動をバラまいた。
つまり、伊藤整は翻訳者して知れ渡ったのである。
しかし、伊藤整の出発点は一冊の詩集「雪明かりの路」にある。大正15年(1926年)。
北海道・小樽で、英語の教師だったが、中学の頃から詩作を始め、この年、ようやく一冊の自家版の詩集ができた。
かれは、東京に行く機会をうかがっていた。そのころの定期購読していた「日本詩人」に百田宗治の詩誌「椎の木」刊行の案内が目に飛び込み、その百田を訪ねて、中野を訪ねるのである。
昭和初期の詩壇というほどもないが、その作風は、「最新の詩法」といわれた。つまり、「ノート風」に書かれていたとあるが、つまり、自然なタッチで、技巧にこらない表現である。
日常的散文と西欧的な発想(蒲田歓一「伊藤整」昭和30年)とある。ここでいう「西欧的な発想」にいきなりだが、アイルランドの詩人イェイツがでてくる。詩集の冒頭にもイェイツの詩「葦間の風」からの引用があるくらいである。
前後するが、冒頭のフレーズは「悪夢」から。平易な新鮮さと繊細な初々しさが、普段の日常的風景として受け止めているからである。

風が立ち、浪が騒ぎ、無限の前に腕を振る。 —中原中也
中原中也の残された詩篇はある意味、異彩を放つ。なぜならば、幼少の頃からカトリックの影響下にあった。
出生地山口市は、ザビエルが16世紀布教を始めたことからも、自然と神の世界を意識していたのであろう。自分の神は原始キリスト教だともいっている。
それがダダイスト中也を誕生させたといってよい。ふだん、中也は「ダダちゃん」と呼ばれていたくらいである。
詩集「山羊の歌」(1934年)「在りし日の歌」(1938年)。詩集はこの二冊であるが、翻訳として、ランボオ詩集やアンドレ・ジイドの翻訳が残されている。
1937年、30歳の若さで夭折している。
作品は「山羊の歌」から、「盲目の秋」の冒頭。
上京してからは、小林秀雄、河上徹太郎らと交流があったが、酒癖悪く、女性には逃げられているので、女運はなかったかも。
1937年9月、指の痛風を訴え、さらに10月頭痛や視力障害を訴えた。診断は急性脳膜炎とされ、同年22日、永眠。小林秀雄らがつきっきりで看病にあたったが、願いはかなわなかった。

担当者プロフィール
宇田川森和(うたがわもりかず)
1948年、山形県酒田市出身。関西大学卒。現在リトル・ガリヴァー社編集人。
20代より、小説・詩集を刊行し、本格的に刊行したのが、エッセイ「夢で会いましょう」(1991年、編集工房ノア)
主な著作「はいばらのそら ケルンのそら」(1987年、同)
詩集「レクエイム」ほか、数冊
電子版「炎の十字架」「ビィーナスの涙」「華の乱 小説通天閣」「天神橋六丁目界隈」ほか