第56回 三島慶子さん
 
三島慶子(みしま・けいこ)
1959年 大阪生まれ。
大阪府堺市在住。関西外国語短期大学卒。
主な著書
「そのまんま」リトル・ガリヴァ―社
「空とぶことば」理論社
「なにかがあなたに」たんぽぽ出版


三島さんのプロフィールによると、リトル・ガリヴァー社から99年に刊行された「そのまんま」があり、その後も詩集を刊行されています。そして、現在もリトル社でWeb連載という形式で、「プリズム」を書かれています。
三島さんの詩作をはじめたきっかけ、いつ頃からなのかを教えてください。
小学校の頃から詩への憧れのようなものはありました。
中学の時には私の書いた歌詞に友達が曲をつけて文化祭で発表したりしました。その後は、新聞の詩壇(小野十三郎氏選)に投稿したりもしていました。けれど一番の転機になったのは同人誌に参加したことだと思います。


三島作品の特性を説明するとどうなるでしょうか。
また、影響を受けたと思う詩人や、愛読した詩集などはいますか?
特性……。平易であたり前、ということでしょうか。
愛読書というのはありません。いろんな方の詩集を読みます。この方のこの詩が好き、というそんな読み方です。一読者になってしまいます。ああ、こんな捉え方があるんだなぁ、と。影響というならば全ての方、ということになります。作風が似ていても違っていても、どちらも勉強になりますから。


意識している、想定している読み手や、かれらに伝えたいメッセージなどは、どんなものがあるでしょう。
中学生、高校生といった若い人に読んで欲しいと思っています。
自分自身でも、そのころの自分に向けて書いているようなところがありますから。


現代詩は難解なものも多い。
もっとわかりやすく、読みやすいものを書こうという意識は、三島さんの中にはありますか。
その問題は私にとっては抽象か具象か、という事になると思っています。音楽の世界でも絵画の世界でもそういう二極は存在します。そのいずれが、ポプュラリティーとどう繋がるのかは時代背景もあると思います。けれど私に限って言うならば、私はこう書きたいと思って書いています。文字というものや人というものに対する信頼という点でも、抽象よりは具象に近いものを、と。


詩に限られた話ではありませんが、詩人として身を立てられるのは本当にごく一部の作家だけ。
これは、日本だけなのか、世界の詩人は食えていないのか。いずれ詩を書いて食える時代はやってくるのだろうか。
こういった現状についてはどう思われますか。
これはこの国にとっての詩の位置に問題があると思っています。西洋では古くから桂冠詩人という座があり、中国では高官になるための必須でした。たぶん今でも少しはそういう立場であると思います。しかし、日本では童謡ブームとか○○ブームという流行の中に大衆の詩があったようで、だからたぶん流行歌の詞人だけが「食えて」行けるのではないでしょうか。


少しいじわるな質問にはなりますが、前問を受けて、「詩では食えない」意識は、詩人から小説家への路という遍路があります。
多くの詩人がこの現実に小説や、評論、翻訳などを手がけ、作家によってはそのまま決別している。
このあたりの変遷について、三島さんのご意見は。
文学で身を立てようと考えるならば、当然のことだと思います。現在でも詩人の人たちは、翻訳やエッセイや小説を書いておられます。「詩人は特性であって職業ではない」とはよく言われます。いわゆる「詩では食えない」と言うことだと思います。地方から中央へ行き、大衆の想いを肌で感じれば、人々の望むものが詩では無くストーリー、小説なのだと気づくのは当然なのだと思います。「物書き」が「書く」為にシフトチェンジをして行くのでしょう。