第55回 横山ひろしさん
 
横山ひろし(よこやま・ひろし)
1947年1月19日、愛媛県越智郡波方町にて、10人兄弟の末っ子として出生。中学を卒業すると上阪。
苦難のすえに曾我廼家明蝶の明蝶芸能学院に入学。昭和42年、横山やすしに師事し、「横山たかし・ひろし」コンビを結成する。翌43年、角座初デビュー。
1972年NHK第3回上方漫才コンテスト最優秀努力賞
1974年よみうり第3回上方お笑い大賞銀賞
1993年ラジオ大阪第28回上方尾漫才大賞奨励賞
1993年よみうり第22回上方お笑い大賞金賞
1994年ラジオ大阪第29回上方漫才大賞


1999年8月、「まいど横山!ひろしです!!」が出版されしまた。
その図書の終わりに、横山さんは、こうしめくくりました。
「家が貧しかったということがあるのでしょうが、大きくなったら歌手になりたい、と思い始めたのが六才のときでした。それから小学校に上がって、その頃はとりあえず勉強せんと歌ってばっかりしているような子でした。春になったら、山に登ってメジロを獲ったり、村中の飼っている犬を鎖を外して放し飼いにして、いっしょに山を歩いたりして、そうやって中学生になっても、いたずら癖は直らずに近所の神社で遊びほろけ、裏山の草が丸裸になるくらい暴れていましたね。
大阪には歌手になりたくて出てきました。ですが、歌手の道は無理だったようで、そこで初めてこの世界に入りました。」
振り返ってみて、このときの心境はどうでしたか。
もう、18年も前のことなんですね。コンビとしても、横山ひろし個人としても大きく変わりました。
まず、歳をとったということです。(笑)


見えてくるものが違うと思いますが。
そうですね。ベテラン芸人なんていわれて、上座にあがっていますが、気持ち的には、昔とちっとも変わっていなんです。「初心忘れるべからず」で。


芸におぼれず、常に向上心をわすれない。
本当は、ここで「コンビの芸は最高」といいたいのですが、現実には、そうもいかないですね。
ええ、相方が、倒れて、もう2年もなりますが、リハビリに励みながら、復帰に向けて、本人は必死。しかし、わたしから、見れば、復帰も引退も五分五分だと思っています。


所属されている事務所側はなんといわているのですか。
引退するとか、そうしないとかは、コンビとしての問題なので、自分たちで解決したら、その結論に従うという意味のことをいわれています。
事務所としては、酷なことはいわないでしょ。


では、コンビとしての結論でしょうか?
近く、相方とは、よくよく聞いてみますが。期待はできないでしょう。


厳しい決断に迫られているわけですね。
横山さん個人の芸人としての「これから」のほうも気になります。
ええ、わたしとしては、覚悟しています。そして、「生涯芸人」の決意は変わりません。


最後まで舞台に立ち続ける事を望まれているんですね。
そうなんですよ。ですので、もし、相方が引退となれば、ピンでやっていくか、誰かピンチヒッターをお願いするかですね。
2年間はピンでやってきましたので、ひとりお笑いのコツや雰囲気はわかってきました。ただ、わたしにも意地があるので、だらだらとはやりたくない。
最近は、演歌歌手ではないが、舞台で歌うようになりました。思えば、愛媛の田舎から飛び出すとき、歌手になりたいと思っていましたから、これで元に戻った感じもします。
しかし、師匠横山やすしさんからいわれていたことは、「おまんたちは、ええコンビや。わしの気持ちは、お客さんにどうやって喜んでもらえるか、それだけを考えて、舞台に出ることや」といわれていました。


芸人として、もう一度、華を咲かせたいという気持ちはあるのですか。
18年前に自分の本を出したときは、一番ピークやと思っています。
それから18年も続いているということは、横山ひろしを応援してくれはるお客さんがいるということなので、舞台だけでなく、地方に行っても、前向きに、精一杯の芸を売るという気持ちでいっぱいです。


もう一度、相方横山たかしと、舞台に立ちたいと。
はい。そうなることをこころより、願っています。ですが、こればっかりはどうなるものでもない。しかし、お互いあきらめることなく、天命のとおり、生き抜く覚悟です。これからも皆様、応援のほど、よろしくお願いします。