ジョージ 土井(じょーじ どい)
本名 土井俊次(どい しゅんじ)
1956年6月27日奈良県吉野郡吉野町に生まれる。
生後間もなく脳性小児麻痺と診断され、寝たきりの生活を送るが、23歳にて車椅子生活となる。
大阪市長居障害者スポーツセンターに通い始めたのをきっかけに、電動車椅子サッカー同好会を発足。また未就学を取り戻すため、1991年大阪市立天王寺中学校夜間学級に入学、1996年卒業。同年大阪府立桃谷高等学校に入学、2000年卒業。
2003年日本電動車椅子サッカー連盟会長を退任。
スポーツ観戦が主な趣味で、チャレンジ精神をモットーとする。
2013年、ハンディスポーツクラブ、「ハンディスポーツチャンバラ」を提起し、B級インストラクターを取得。現在、NAGAI事務局部長。


12年前「車椅子のジョージ」(04.8発行)という自伝をまとめて書かれた。
あのころのジョージさんは、どういう心境だったのでしょうか。
重度の脳性麻痺を持って生まれてきた私は作業所などで仕事をして収入を得る事が困難だった為、本を書いて印税収入を得たかったのです!…と、いうのは冗談でこれまで私が生きてきたという証をどんな形でもいいから形として残したかった。


ジョージさんは、自らの出生と、苦難の生い立ちを書かれている。
いまの自分が、60歳。還暦を迎えた。正直なところ、どう思いますか。
これまでは家族、いや多くの人たちに恵まれ、助けられ、今日まで生きてこれたのは何よりの宝ですが、自分自身の心の中には世の中のあらゆる差別に対する反抗精神を持ち続けてきたからこそ今の自分自身があるんだと思います。そしてこれからもこの思いは死ぬまで持ち続けてツッパリながら生きて行くと思います。


いまのジョージさんがあるのは、家族や友人、いろいろの人たちから支えられてきたからと、つねに言っていますが、一番に感謝したい人はだれでしょうか。
感謝したい方は星の数ほどいて一番が誰かと言われると本当に難しいのですがやはり親代わりになってくれている時には優しく、時には厳しく、人に対する思いやりと優しさを何より大切にするということを教えてくれている姉です。


5年前ほどから、「ハンディスポーツチャンバラ」という活動を始められた。きっかけはなんだったのでしょうか。
また、この「チャンバラ」の主たる活動はどんなことをされているのでしょうか。近い将来、「世界レベルに」とも言われていますが、このあたりの目標とか、ねらいは。
一般のスポーツチャンバラの特集番組をTVで観ていて、これなら私にもなんとか工夫をすれば出来るのではないか? と思ったのが始まりで、続けている内にこれを正式に新たな障害者スポーツとして立ち上げて行きたいと思うようになりました。これまでの電動車椅子サッカーでは味わえなかった健常者と障害者が対等に心から楽しめるユニバーサルスポーツを目指していこうと思っております。今後大阪だけではなく全国、世界の人々にこの競技の醍醐味を伝えていくのが私の使命だと思います。まだまだ書きたいことがありすぎてインタビューの枠に収まりません(笑)

(実際の様子)


「60歳からのジョージ」という意味では、やりたいことはたくさんあるが、多くは望めないでしょうか。しかし、「なにかをやりつづける」という意欲と意思は、強くお持ちだ。
そこで、これからのテーマをいくつかあげてください。順番にやり遂げられるように。
自分の楽しみを増やしていこうと思います(いつまでもチャレンジ精神を持ち続けたいと思う)たとえばパラグライダーへの挑戦など、そしてこんな年ではありますがまだまだ恋に対する夢も捨てたくありません!いつの日にか かわいくて、優しくて、色っぽい人といつまでも二人で暮らしたいです(笑)