下田 喜久美(しもだ きくみ)
昭和16年12月、大阪府堺市生まれ。大阪府泉陽高等学校卒業。
日本ペンクラブ会員、日本国際詩人協会、日本児童文学者協会会員、日本詩人クラブ、21世紀創作歌曲まほろば会員、与謝野晶子研究会代表。1973年から若い詩人たちの育成活動を通じて、優れた朗読者を送り出している。朗読文化、関西レインボウ代表、詩と童話同人誌「このて」主宰
主な著書。「心の詩」(誠文堂出版)「かあさんの花」(かど創房)「花たちの朝」(らくだ出版)「ルビーの空気をすいました」(教育出版)「遠くから来た旅人」「シエナの始源」(リトル・ガリヴァー社)「下田喜久美詩選集」、教科書副読本などに多数採用されている。日英バイリンガル詩集「果樹園」(2013)「下田喜久美の詩による歌曲集」(2013)「星の二重奏」(2015)

詩を書かれたころというのは、いくつぐらいからでしょうか。
16歳ぐらいから。もっと前から詩の世界に染まっていましたね。高校生のころ、文芸部に入り、文芸誌「ひびき」を作っていました。


下田さんの高校は、たしか与謝野晶子出身の泉陽高校でしたね。つまり、与謝野晶子さんが大先輩ですか。
その与謝野晶子カラーなるものが、そこかしこにあって、当時もその薫陶を受けて育ったという記憶があります。ただ、詩を書くきっかけというか、動機は別のところにありました。
わたしの父は、敗戦後に奇跡的に復員し、家に戻ったのですが、軍人の家族がそうであるように、父もスパルタ教育で、厳しい人でした。その父をいつか避けるようになり、自分の世界に閉じこもるようになった。それが詩を書くきっかけになりましたね。八歳のころですね。


少し話を飛ばしますが、卒業後、進学はされず。
そのつもりだったのですが、父の商売がうまくいかず、急遽、就職の道を選びました。それが三越の百貨店勤務でした。その後、わたしが文芸部に所属していたことを知られ、百貨店の宣伝部に抜擢されたのです。
そこで、六年間コピーライターをやっていました。
8年目にいまの夫に出会い、25歳で結婚し、三人の子宝に恵まれました。


そのころ、FM放送の詩のコーナーも担当されていて、確か、第1号の詩集「心の詩(うた)」を刊行された。それからずっと詩集を出されていますが、いま現在、何冊目に。
もうかれこれ12冊になります。最新のものは、今年出しました「星の二重奏」という詩集です。これはイタリアの数学博士のラウラさんとのコラボレーションでした。
先日、ラウラさんが日本においでになり、詩の朗読などでご一緒しました。
わたしは、詩の同人詩「このて」(今年で65号発行)を45年間主宰し、詩作にかかわってきましたが、同時に読み聞かせる「朗読詩」にも力を注いできました。
おかげで、海外の先生方とのコラボレーションでは、日本語の詩を朗読するという表現法が非常に好評だったのです。(テキストには、英語が併記されています)


最近、海外にお出かけの機会が増えていますね。
日本国際詩人協会の招聘で、海外に出るようになったのですが、二年前、マケドニアのストルーガ詩祭に参加したのが初めて。そこで、わたしの作品を朗読したりし、日本の文化との交流につとめてきました。


海外では、なにか日本と違うという印象は持たれましたか。
つい、数日前、ルーマニアから帰りましたが、ヨーロッパも東欧も芸術、文化、音楽に対する、国民全体の理解が深いことがあり、そこかしこに、芸術があふれている印象でしたね。オペラの観劇でも日本だと、安くないチケットなのに、向こうでは、スーパーのお買い物並のチケットですから、誰でも、いつでも聞けるし、楽しめるのです。


国際詩人協会、日本ペンクラブなどでの活動が、海外に向くようになってきたのは何か理由があるんでしょうか。
日本の文化を海外に伝えるという主たる目的はありましたが、わたしたちが目指したのは、世界の平和、文化の啓蒙にありました。いまだ、戦火の傷あとの残る国々に対して、わたしたちができることは詩という創作活動を通じての伝達。
たとえば、マケドニアは、かつてのアレキサンダー大王の功績で栄えた国なので、ここでの日本に対する理解とか、賞賛がすごかった。わたしは、日本的な意味での、「楼閣」をテーマに詩作したところ、仏法の世界のすごさを見たといわれ、世界の人たちにも分かってもらえたことがうれしかったですね。


世界の舞台で活躍される下田久美美さんですが、これからの目標とか指針はどこに置かれていますか。
世界の各地で自分の作品を朗読して感じたことは、日本の詩を理解し、感動していただいているということ。
住む世界こそ違うが、日本の文化的な美への高い関心があります。
だから、これからは、「日本の詩を輸出しよう」などと目標をかかげています。
わたしは、地球の裏側の人たちも、自らの国の安全と平和を願うのは当然のこととして、わたしたちが活動している中での、東洋の哲学、思想への関心の高さに驚きましたし、これをこれから伝えることに徹しようとも思いました。


最後に、個人的な事ですが下田さんがFacebookに突如現れたので、びっくりしました。
ええ、これも海外での活動を通じて、ラウラさんらとの交流が生まれたからです。継続の方法として、Facebookでの交信・交流も可能なので、はじめてみたのです。ただし、日本語ではなく、英語限定になりますので、この歳になって、英語の勉強を始めているのですよ。