武田久生(たけだ ひさお)
1978年 秋田県生まれ。
龍谷大学経営学部卒業
在学中、創作活動に目覚め、それと同時に旅行文学に傾倒。
20代前半から東南アジア・南アジアを中心に十数カ国を放浪。
『月光町ブルース』は著者の処女出版作となる。

ついに処女作品集、完成の運びとなりました。率直な感想を聞かせてください。
「ようやくこれでスタートラインに立てた」という想いです。大学時代に作家を夢見始めてから、この地点に辿り着くまで一五年以上もの時間を要しました。流通図書として耐え得る作品になるまで、決してゴーサインは出さないという富樫さんの編集方針の下、基礎体力をつけるための猛特訓も受けました。様々な地点で道に迷いました。でも、今、私が進もうとしている道の先には、漠然とゴールのようなものが見えています(これが蜃気楼でないことを祈っています)。遂にこのレースに参加できた今、後は全力で走り続けるだけです。


表題は「月光町ブルース」。その中に「月光町ブルース」と、「ホラ吹き松吉」の2作品が収録されています。この作品の簡単な紹介をお願いします。
昔、カセットテープと呼ばれる音楽再生メディアがありました。二〇代以下の方々はもしかしたらご存じないかもしれませんが、磁気テープの表(A面)と裏(B面)に、一曲ずつ楽曲が吹き込まれた状態で販売されるのが常でした。私はこの作品に、そういったカセットテープ的な感覚というか、音楽性を与えたかった。A面が「月光町ブルース」で、B面が「ホラ吹き松吉」です。どちらの作品の中にも、不思議な音を一杯詰め込みました。縁があってここで巡り遭えた皆さんにも、是非、楽しんで頂きたい二曲です。


話は前後しますが、「武田久生」とは何者という質問もあると思うので、これも簡単な自己紹介をお願いします。自己アピールという意味で。
「武田久生」は筆名です。そして、この名前を使っているときの私は、公人です。もちろん、私にも日常生活はあり、そこでは私人としての自分が生きています。が、この私人としての私は、表に出るつもりはありません。何故ならば、作家とは芸能人やタレントではなく、その書き上げるものが全てだからです。今回のインタビューにおいて、このような格好をしているのにも意味があります。私人「武田久生」は覆面を被ります。そうして生きるのが、公人「武田久生」です。ふざけた態度で人生を歩んできましたが、文学は絶対に舐めません。


前の質問と関係しますが、武田さんは、大学生のころ、インド放浪など、海外を旅することがありました。これはどういうきっかけで、目的はどこに。
全ては「逃避」から始まったものです。大学生活を終えたものの、私には社会に出たいという欲求が一切なく、与えられたモラトリアム期間をどうやって延長できるかと、姑息なことばかり考えていました。そんなとき、遠藤周作さんの『深い河』を読み、猛烈なショックを覚えました。インドに行く決意をし、日本を飛び出しました。そして、種々の異文化、数々の人々、場所や言葉や光景、美しい瞬間瞬間と出会うことができました。旅は正に人生の縮図です。多くの出会いが生んだ記憶たちと再会できたとき、今でも私は幸せを覚えます。


闘いは始まったばかりの印象があります。ですので、これから武田さんはどこに向かって突き進むのか、目標とか、わが信念のようなものをお聞かせください。
私には一つの持論があります。それは「良い人間も悪い人間もいない」という、性善説と性悪説の否定です。善と悪を、二元論で論じ分けることは不可能だとも思っています。陰陽的な考え方に通じますが、世界は陰と陽のバランスでできており、そんな中に人間がいて、良いことをしたり、悪いことをしたりする。人間とはそのような漠然で曖昧模糊とした存在ではないでしょうか。そして、そんな人間たちの業を、自分自身の言葉でどれだけ表現し尽くすことができるのか。これこそが私の抱く課題であり、目標でもあります。


今回の作品集刊行に当たって、当社編集長(富樫)とは、いろいろ質疑ややりとりがありました。
ここで、学習したことや、新発見はあったのでしょうか。
富樫さんからは多くのアドバイスを頂きましたが、今でもよく覚えているのが、推敲を重ね続けた結果、書き方がよくわからなくなってしまっていた時期のことです。富樫さんは、私が説明的で矛盾のない文章を書こうという意識に捉われていると警告を発してくれました。そして、物語の中に入り込み、それぞれのキャラクターと自分を重ね合わせ、感性の文章を書く必要性を説いて下さいました。あの言葉があったからこそ、この二作品は完成しました。最後まで真摯に私の世界と向き合って頂けたこと、本当に感謝しております。