万彩タモン(まんさい たもん)
1964年、京都大学工学部卒業
(株)クラレで人工皮革クラリーノの開発に従事。
5年後に脱サラして自動車部品の製造開始。
開発型町工場“岸田精密工業株式会社”を経営。
二輪車、四輪車のキャブレター部品専門。
AAニードルで発明振興協会から優秀発明賞
発明大賞功労賞受賞
バイクチューンナップ用キャブレター“燃調キット”開発
タップリと働いたので、2011年引退。
処女小説が「ノサバリスム」(1999年11月)

1999年発行の「ノサバリズム」「あとがき」には、なぜ書くに至ったかという背景というか、その理由が書かれています。
そこで、注目されたのが人の世の法則、少し斜めから見る命の味わい方、無常(無情)に支配された必然性。この3点にあると。
これは「ノサバリズム2」の執筆にも引き継がれたのでしょうか。
物の見方、考え方は12年経っても変りません。ただ立ち位置の違いによって見えるものは違ってきました。老人トンネルの入口から中を覗き込んでいたのが前作とすれば、トンネルの中ほどから振り返っているのが今度の作品と言えるでしょう。当然ながら今の視野は穴の範囲に限定されています。
阪神淡路大震災がバブルの痕跡を消し去り、京阪神の人々の間に無常観が広がりました。東日本大震災はそれを日本中に広げたように思います。絆という言葉は、無常観の毒消しのように使われています。


最初に今回は、こんなテーマで書きたいとした「メモ」を見て、これは小説にあらず、「論文」ではないかと危惧しましたが、その心配を見事に取り除いてくれた。いわゆる小説的着想や脚色のおかげと見ていますが、作者としてはどう思われていたのですか。
若者の活字離れが言われますが、当然だと思います。読んで楽しくない文章が多すぎるのです。いかに有用な内容でも、楽しくなければ読んでもらえません。だからといって楽しいだけで中身が無ければ、紙資源の無駄です。その辺りのせめぎ合いに、プロの物書きが十分戦っているとは思えません。私は素人ですので、この難問に挑戦して失敗しても失うものはありません。もし私の手法がある程度の評価を得れば、退屈な純文学、随筆、評論、実用書、取扱い説明書、公文書、論文等が少しは読み易くなるのじゃないかと期待しています。


今回は、12年という長いお休みのあとの執筆であり、かつ、その間に、日本の経済は劇的に変化した。そして、町工場の親父だった作者の体験的観測、オンリーワンの生き残り作戦など、さまざまの場面でアイデアと作戦を立てられた、ということは作品で初めて知ったことなのですが。
私がプロとして誇れるのは、物づくりだけです。その立場からであれば、世界中の誰に対しても胸を張って自説を述べることが出来ます。だから本の形にするなら、当然ながらそれがメインテーマになります。しかし素材だけでは料理になりませんので、調理や味付けに工夫をしました。幸か不幸か私の見方、考え方は世間の常識とは違う層に広がってますので、それで仕上げれば口に合うか合わぬかは別問題として、少なくともこれまで誰も味わったことのない料理になるという自信はありました。


小説には、「ユーモアと毒舌」が必要といわれていた、丸谷才一氏の発言が記憶に新しいが、万彩さんもその心掛けよろしく、実践されてきた。これは考えてできることではない、ある種の体質とかキャラの問題だとすると、日本人にはその素質が足りないということになりませんか。丸谷先生が嘆かれるのも無理ないと。
どんな職業でも、プロとアマの間には巨大なクレバスが広がっています。まして丸谷さんはプロ中のプロです。丸谷さんの言葉に挑戦するほど私は身の程知らずじゃありません。例えてみれば丸谷さんは一級建築士です。壮大な規模の構造物(長編小説)を見事なデザインに仕上げられます。しかし私は二級建築士ですので、大きな物を建てる能力はありません。チマチマとした個人住宅(私小説)しか作れませんが、せめてデザインだけでも面白くしようと努力しています。自戒しているのは、うっとおしい私小説だけは書くまいということです。


「ノサバリズム」のあとがきでもうひとつ発見したのは、当時、「10年後の私がなしえるか」保証がないみたいな発言をされている。
つまり、あの当時の執筆に体力と知力を駆使して、これを再開できないだろうという予感を述べられた。
すれば、「ノサバリズム2」は見事に裏切ったという話になります。
編集者という外野席から見て、むしろ今回は「すんなりいった」という感想を持っているのですが。
前作は現役の会社経営者が仕事の合間に書いたもので、半年間苦闘しました。今度はリタイアしていますので余裕綽々、三か月で一通り書上げました。しかしその後の校正を含めると、実際に費やした時間は今回の方が遥かに長くかかっています。それは最終帖のアイデア論に手間取ったからです。論旨は以前から決まっていましたが、構成と展開に七転八倒して苦しみました。校正に四か月近くかかったのも、最終帖の完成度を高めたかったからで、編集者には随分と苦労をかけてしまい申し訳なく思っています。


いまの時代、「人生○○年」というのが正しいのかどうか、平均寿命でいうならば、ほんの入り口ですので、セカンド、いやサードライフでなにをするというテーマを考えるのも一興と思います。ですので、万彩さんが次の一手になにを打つか、とても興味があります。ちらりとその欠片をお聞かせいただければ。
前作「ノサバリズム」は私にとって悔いの残る作品でした。しかしその後の十年余に思いのほか良い仕事が出来たので、これをベースに書けば良い本が出来るという自信がありました。今回の「ノサバリズム2」は自分では畢生の作だと思っています。この書を残せただけで私の人生は意味があったと満足しています。いつの日か私のボンヤリ頭アイディア術が世界の常識になるのを夢見つつ、グータラ・グータラと余生を過ごすつもりです。
従って次の案はありません。多分もう書かないでしょう。