玉木 文憲(たまき ふみのり)
1949年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。バリアフリージャーナリスト。
53年、父子家庭突入。64年、父死去。孤児となり、東京都小平市のサレジオ学園へ。
69年、西武百貨店入社。
79年、副腎白質ジストロフィー発病。85年、大阪に転勤。
91年、創価大学通信教育部経済学部卒業。95年西武百貨店退社。同年、有限会社ボールズ設立。
97年、病状悪化、寝たきり生活に突入も、一年後に再起。
98年、FFC普及会、東京ライターズバンク、東京スピーカーズクラブ会員
妻、一姫二太郎の四人家族。
http://www12.canvas.ne.jp/tamaki/

生きていることの「証し」として

2005年12月「父からの伝言」が最初の一冊。それからあれよあれよと、今度は6冊目「団塊これからだ!」(9月20日刊行予定)になります。
この勢いというか、スピード感は他の追随を許さない。

そんなにお褒めをいただくと、身の置き所がなくなってしまいます。雑音のない「書く環境」さえ整えば、どんどん書けてしまうのです。ただ環境が整わないとまったく書けないあたり、まだ修行が足りないのだと思います。
今まで書かせていただいた本は、すべてわが身に蓄積したものを交通整理しながら文字にしただけですので、これからが勝負でしょう。

有名デパートのカリスマバイヤーだった男が、不意の転進。この30歳というのが人生の折り返しというか、転換期だった。
30歳というのは、私の病気が顔をのぞかせた年ですけど、別にこのとき革新的な政権交代が行われたわけではありません。20年間という時間を「ついこないだ」というように語ると年寄り扱いされてしまいそうですが、本格的に新しい人生をスタートさせようと立ち上がったのが50歳のとき。人生を100年と考えれば、まさに後半の人生、第二の人生のスタートとしては丁度良いでしょう。
 通り過ぎた過去は思い出の引き出しの中に、いつでも取り出せるよう整理してしまってあります。いくら転身したからといって、通り過ぎた過去を卑下するつもりはありませんし、転身したことを後悔もしていません。第二の人生にだって、数えきれない幕間があるのではないでしょうか。

前回のインタビューは四冊目「ふたりで紡ぐ世界旅」を刊行したときで、この企画「著者インタビュー」の第一号でもあった。
そのとき、「達成感がない」とおっしゃっている。四冊も出して、こういう感想だから、この人はまだまだ書く気でいるな、と思ったら、そのとおりになった。
同じ質問です。「達成感」はありますか。
正直申し上げて、まだまだです。事実をありのままに書くエッセイには、表現の限界みたいなものがあるのではないでしょうか。
私の思いを読者に伝えて行こうと考えたら、残された表現手段は小説しかないのではないかと思います。芥川賞作家の宮本輝さんが、ご自分のことを「ストーリ・テラー」だとおっしゃっていますね。私に宮本さんのように物語を操る才能なんて秘められていないのかも知れませんが、私自身のゴールの姿だとして目標にしています。しかし、なかなか書けません。もう何枚原稿用紙をゴミにしたか知れません。

ここ最近の著「ハッピーリタイア」も「団塊これからだ!」もこれまでの視点と違うところが感じられる。
つまり、玉木さんの第二の人生というステージをどう書くのかというテーマ。
加えて、「自分は障害者」という視点が消えて、「自分はひとりの男」という意識が強く感じられる。
こんなことを申し上げると笑われるかも知れないのですが、私は自分の書いた本を「作品」だなんて思っていません。「商品」だと思っているんです。
ですからしっかりしたマーケット・リサーチをかけ、仮想読者のプロフィールや数をしっかり踏まえたうえで、「よし、この人たちに読んでもらえる本を書こう」と書き始めるのです。そうなると、同じターゲットがいつまでも続くとは思えないのです。「今度はこんな人」「次はこんな人」と書き分ける。自分にマルチプルな生活観がないとできないことですけどね。
所詮私はマーチャンダイザーの出身です。「これは売れる商品か」「だったら何冊売ろうか」「いくら売ればどれくらい儲かるのか」「もっと売るためにはどうすればいいのだろう」「リスクは……?」こんなことばかり考えています。

「車いすで恋をしよう」と前作「ハッピーリタイア」が図書選定(日本図書館協会選定図書)に認定された。二冊も推薦されたことは快挙ですが、この二冊に関しての、著者としての思い入れはありますか。
優先して図書館に置いていただけるというのは、ものすごく光栄なことですし、私の著作の目的にも叶ったものだと思います。ただできることなら、小中高等学校の図書室にも置いていただけたらものすごくうれしいと思います。「父からの伝言」に始まる4冊は、少年少女を読者ターゲットのひとつとして、イメージしながら書いた本ですから。
書店で私の本が置いてある場所を見て、憤慨することがあります。たしかに前提として病気のことや障害のことは書いてありますが、「闘病記」などとカテゴライズされていると、大声で文句をいいたくなります。

「書き続ける」という意味と、「生き続ける」というのが同意義語の響きをもって聞こえてきますが、玉木さんにとって、「書き続ける」というのはこれからも変わらず、続くと見てよろしいのですね。
「書き続ける」ことは決して「生き続ける」とイコールではありません。生きて「行なったこと」「考えたこと」を結果的に、書いているだけでしょう。ですから「最近玉木の本が出てこないな」と思われても、玉木はどこかでしぶとく生きているかも知れません。脊髄の病気ですから、いつ手が動かなくなっても不思議はありませんし、視聴覚、知的作業にも障害が発生するだろうことは覚悟していますから。
ただ元気でいられるうちは、事情さえ許せば全国どこででも、講演などをさせていただこうと思っています。ビジネス感覚にはもうカビが生えてしまいましたけれど、どのような方々が聴衆であられても、求められるお話をさせていただけるのではないでしょうか。