浜野伸二郎(はまの しんじろう)
1952年 兵庫県高砂市に生まれる。
4才のとき、先天性脳性小児麻痺と診断される。
1969年『姫路文学人会議』同人となり詩作を始める。
1971年カウンセラーに認定。1972年処女詩集『人間』を自費出版(以後十冊の詩集と一冊の自分史を編み、数々の賞を受賞する)
「主な著書」詩集「人間―情念―」(1972)、詩歌集「絆」(1976)、詩集「おまえ」(1979)、詩集「鶴よ、はばたけ」(1983)、詩集「白鬼の恋女房」(1985)、詩集「蟹ゆで」(1989)、詩集「仲良し地蔵」(1992)、詩集「台風無情」(1996)、詩集「梵鐘」(2000)、自分史「死線を超えて」(2001)詩集「情という字」(2003)「恕のこころ」(2006)



今度の「愛と死の狭間で」を読むと、生後間もなく「先天性脳性小児麻痺」と診断され、余命宣告すら受けている。物語の主人公「清和」にとって、ショックなんてレベルではなかったでしょうが、正直なお気持ちは。
「ショック」という一言では片付けられない奈落の底に突き落とされた気持ちでした。
16歳の折、主治医から「25歳くらいまでの命かもしれない」と告知された夜、生まれて初めての自殺を試みましたが、幸い未遂で終わりました。


そもそもこの小説を書こうとした意図はどこにあったのですか。これだけの分量を書き上げるのにも相当の時間がかかったと思いますが。
主人公「清和」=(僕)の生き様を通し、命と愛の大切さを知って貰うと共にライフワークとしてきた福祉・文学・平和の流れと活動を実践していく上での苦闘。まっとうに生きていくことの大変さ……。
原稿用紙500余枚を書き上げるのに2年の歳月を費やしました。


障害者への偏見や差別は社会の風潮として根強くあると思います。しかし、そうした人を抱える周囲の人たち、家族はたいへんだろうと思います。いまあるのは、そうした人たちのひたむきな愛、無類の愛だと思うのですが、その中にあって、最愛の妻の存在が大きかったのでは。
はい、そのとおりです。
「短命」と告げられていた主人公(僕)が、今日まで命を永らえられたのは、妻の愛の賜物であり、その愛の力が奇跡を呼び起こしたのでしょう。


いくら感謝してもしきれない奥さんへの熱い思い。長い間、共に手を携えて生きてこられた。そうした結婚生活を支えた一方のパートナーのことを今回は踏み込んで書かれた。いわば恥じも外聞も捨てて。これは勇気のいる踏み込みだったのでは。奥さんはなんといわれていますか。
とにかく恥ずかしい!
しかし、ここまで赤裸々に書いている以上、障害者も健常者同様に「性」について考え、勇気を持って障害者も「性」のタブーを打ち破って欲しい。


障害者が社会的に自立することの困難さ。健常者のように社会参加できない障害の数々。それを打ち破って、自立の道を開かれた。
それでも、そのあいだにあった差別、侮蔑、暴力等を、克明に書かれている。
被害者として見たとき、当人の心情はこころが折れることもあったのでは。
幾度か負けてしまいそうになりました。
涙を流したり投げ遣りなったりした時、妻だけでなく周囲の人たちが激励して下さったこと大きな支えになりました。


ところで、浜野さんは若いときから、詩や文章を書かれていた。わけても詩集は10冊以上、まとめている。この詩は、浜野さんにとってどんな意味を持ちますか。
詩は私にとって、私自身の声を伝える媒体です。
それは、私の希望や願いや思いや叫びや考えや喜びや悲しみですが、引いては障害(児)の家族に、福祉関係者の声となることと信じて書き続けています。


ありがとうございます。さらに精進して、長生きしてください。奥さんとともに。