あまの しげ
1968年、大阪芸術大学美術学科卒業
〜1977年、パリ滞在、パリ国立高等美術学校に学ぶ
0982年、Ge展(以降、毎回出品)(大阪、京都)
1990年、「芸術の相互作用」展(フランス)
1999年「20世紀の証明」展(大阪)
2005年、年、第三回カレイドスコープ「自適人の肖像」展(大阪)
2006年、第三回現代日韓同行展(大阪)
2007年「私のありか」展(大阪)

個展(24回)


当社にとって、異色になりますが、このたび画集「PROCESSUS」(プロセス)を刊行されますが、このねらいはどこにあるんでしょう。
一枚の絵を描くというのは、自分に向かうということなんですね。目の前にいる自分、別に鏡がなくてもいいわけですが、その自分と絵はいつも必ず結ばれている。そういった関係性がある。そうなると、過去とか現在とかもおおいなる関係性の中にある。そう思うんです。ふと時間と膨大な作品を眺めていると、ここで未来に向かうために一度作品集を纏めることも必要かなとおもいました。しかしこれでおわり、完結ではなくプロセスなんだ、という意味でこの表題にしました。


絵画や芸術に触れる機会が少ない人には抽象絵画と聞いただけで、身構えてしまうところがあります。この分野の絵画というのはどう見ていけば良いのでしょう。
どんな対象に対しても多くの人は慣習によって判断しています。心が開かれておらず、自分の慣習とイメージに支配されています。その視点にある限り抽象に限らずあらゆる芸術を鑑賞する姿勢になっていないのだと思われます。まあ、そういってしまえば身も蓋もないのですが、いちばんいいのは、展覧会に足を運び、とりあえず観ることです。いくつかの作品を観たとき、必ず好き嫌いや良否の感情が生まれます。そのあと、なぜひとつの作品を好ましく思ったのか、それを考えてみればいいのです。そこにはすぐに言葉にはならない何事かが発生しているのです。この経験の集積が大切だとおもいます。


もうかなり前になりますが、当社から「ゆらぎの時代」(1997年6月)を刊行しました。これは文化比較論とサブタイトルにあるように、ヨーロッパ文明の変遷と、日本の文化を比較、検証された内容です。
ここにある視線は画家というより、学者的ですが。ねらいはどういうところにあったのでしょうか。
学者というよりは一市民の立場から、と考えていました。旅に出ればいちばんはっきりしますが、ぼくは町を観て、散策するのが一番好きなのです。ところが、パリから帰国し、風景があまりに乱雑になっていることに対する失望と義憤のようなものが沸き上がってきたのです。なぜこんなになってしまったのか、それを知るためにいくらか書物に当たったために、いくぶん専門的になったりもしていますが。そして、結果、ひとつの提案として、アンフィテリア(中間領域)という造語をつくり、積極的に風景をつくっていこうとしました。


先日も雑談の中で、「あの続きを」のようなご発言がありました。これは文化比較論と見ていいのですか。もし、構想がまとまっていましたら、聞かせてください。
いまでも「ゆらぎの時代」に触れているようにヨーロッパは単一的に石の文化だと思っている人が少なくない。彼の地の木の文化には東西を繋ぐ、ある種郷愁を誘うものがある。そのあたりを纏めればいいな、と思っています。
具体的には木造建造物とかケルトとかそのもっと以前の古代のヨーロッパ文化など。まだ行けていないところがあり、まずそれをやってからですね。 東洋と西洋、東西という言葉はついつい対比的に見てしまうあまりいい用語ではありませんね、そのあたりを古い時代のなかに共通項を見つけることによって埋めてみたいのです。


これまで手がけられた絵画の点数は無限に近いのでしょうが、それでもなお書き続けるというのは、終わりのない仕事として認識しているからでしょうか。日本の抽象絵画の歩みと併せて、絵画の世界をまとめていただきますか。
日本の抽象絵画はフォビスムを中核に展開してきたと思います。いってみれば、感情移入に傾斜した絵画です。抽象画が日本的リリシズムに同化していくのです。ぼくはささやかだけど、そういった傾向に抵抗してきたつもりです。しかし、これは外向きの発言であって、自分にとって絵画を描くことは日記を書く作業に似ています。だからこれに終わりはないのです。われわれ絵描きは棺桶の中でも絵筆を握っているかもしれません、「あ、あいつは俺が死んだことを悲しんでないな」とかメモったりして。


お忙しい中、ありがとうございます。今後のますますのご活躍を祈念します。