福堀武彦(ふくほり たけひこ)
1948年6月、富山県氷見郡生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。
71年大手商社に入社、76年電機メーカーに入社、89年〜95年電機メーカー北京事務所長、03年販売会社に入社、一貫として中国貿易に従事。



今回、「中国社会」に焦点をしぼって書かれたことにはなにか理由のようなものはありますか?
業務として一貫として中国関係に携わってきたので、その経験をまとめてみる事は私自身の人生の軌跡であるし、その軌跡を整理し、発表する事は、寧ろ今後の中国との貿易、または事業に係わる人に対して業務遂行の上で一つのヒントになると考えたからです。


多くの日本人は、お隣の国と思っていながら、その実像をよく理解していない。
日本人が見間違う中国観というか、誤解のようなものがありますか。
書籍の中にも折に触れて書きましたが、誤解というものは確かにあると思います。
誤解というよりもむしろ分からないといった方が正しいのかもしれません。
第一は、私たち一般の人が中国を思い浮かべる時、秦の時代から唐の時代までのイメージと元の時代のイメージ、それから明〜清の時代、毛沢東(新中国)から現代までとそれぞれのイメージとして捉われており、その間には何の関連性もなくその時々の歴史的物語として理解されているのではないかと思う。
それが最近の中国では日本や世界の企業が中国に進出して事業をしているニュースばかりが紹介され、経済が発達してきた大国、その国はまるで日本と大差ない国のようなイメージでとらえられている気がしてならない。中国に対する批判もこのイメージから出ているのではないか。これが第二のイメージとしてとらえられていると思われる。そのイメージと実態の中国との乖離が誤解を生む原因であると思う。


最近の四川大地震、被害も甚大、規模も半端ではない。日本では神戸・淡路震災という自然災害を体験し、まざまざと自然の脅威を再認識したと思われます。
それは中国でも同様だったはずですが、「まさか」という日常的油断が被害を拡大されたということはないのですか。聞けば、小学校などの建物の耐震性は怪しかったと報道されていますが。
「まさか」という気持ちがあったという油断と言うよりも、言葉で言うほど何も考えていないということの方が全体として正しいのではないかと思う。
中国の一般の人も他国に関心がないということよりも、毎日の生活に追われていることもあるし、「何も詳細を知らされていない。知らされているのは政府のフィルターを通した政府の考えが含まれた事実のみ」という現実の方が大きい。 自分がいかに上手く生きるかをいつも考えている人に対して、手抜き工事や賄賂で丸め込むことは朝飯前。将来の結果よりも今を生き抜くことに躍起になっています。
工事を現場で行なう人に何故鉄筋を入れるのかを聞いてみなさい。理由なんか分かっていない方が多いし、知りたくもない。又余計な事を聞いて睨まれない方が良い。言われた事をやっていれば良いという考え方です。


こんな時によくいわれる危機管理や防衛体制などは、お国柄というか国の個性のようなものが出るのでしょうか。
お国柄と言われればその通りかもしれません。そもそも危機管理という言葉は最近一般に使用されるが何に対しての危機管理であるかが問題と思います。
企業においては企業を守ることの意味は、従来は企業にとって具合の悪い事があった場合、外に対して隠す事であったが、現代の開かれた資本主義社会では、それはかえって、企業にとり致命傷になると言う事で、いち早く公開をして、対策を発表し、企業を守るということです。その具合が悪い事が起こらないようにする。
庶民の側からは危機管理ということは殆どないことに注意を払う必要がある。庶民は常に裸であり、危機にさらされている。
自由主義における危機管理ですら、上記のようであるから、独裁主義における危機管理とはアルダスハックスレイの「ブレーブ・ニューワールド(偉大なる新世界)」に書かれている社会が崩れないようにすることを意味する。古い本であるが是非一読をお願いします。私がくどくど説明するよりその方が早いし、理解しやすいと思う。


執筆当時は、北京オリンピックはまだ先のこととして捉えていましたから、内容に盛り込まれるような記述は少ないのですが、実際、北京およびその周辺は大きく変化しているのですか。
正直言ってオリンピックそのものに私は関心がないのです。従って、その変化を見るために、北京に行くということがないので分からないということです。但し北京を含めオリンピック種目を行なう都市の変化は大きいですがやはり北京が最大の変化でしょう。
オリンピックはやはり中国にとって政治的意味合いが強く愛国主義を(多民族を中華民族として)発揚する良い機会になっています。即ちオリンピックの成功は国家として世界の仲間入りした実質的な意味合いを持ち、同時に国家をまとめる為の良い機会として利用しているといえるでしょう。成功しても極端な愛国主義が表に出ると悪い結果として中華思想が強くなる可能性があります。人民が自信を持つからです


ところで、「あなたの知らない中国社会」がどう評価されるか、筆者としては不安なところもあったでしょう。
配慮は当然ありました。従って、富樫さんからの依頼は当初お断りしたわけです。今でもそれは現実として存在しています。なぜなら現役だからです。自由主義社会且つ資本主義の日本で生まれ育ち、国民に主権があると定められた国の人から見れば信じられないことと思いますが。出来れば顔写真も出したくありません。
いきなり良書と言うのは、本を出版した一人の人間としては喜ばしいのに違いはありませんが、不安が現実のものとして出てくる可能性があるということです。先ほどの危機管理が私に不足しているのかもしれません。(笑)


今後、福堀さんがしたためたいテーマというのは、再び中国ものですか。それとも別に構想があるのでしょうか。
やはり中国、中国と係わりのある間は私にとって、一生のテーマ。これは実践から学び全体を推察し、それを普遍の問題として掘り下げてゆくことは、私の人生観でもあります。普遍の問題として掘り下げて行き、そこから改めて現実を見てみるということは、絶対に必要で、どちらが欠けてもよくない。実践主義に陥れば、単なる現実主義者になり判断も狭くなり、実践がなければ理想主義者になるだけか、人のケチ付けが本業になってしまう(そういう人もある程度必要には違いないが)。


それにしても今回の著作、相当に時間と労力をかけられたでしょう。作者の本音でいえば、自信も反省もおありかと。
2002年から時間を決めずにぼちぼちと書いてきた結果です。
中国に関して紹介したいことはいろいろあるが、言いたいことの核心は本書に殆んど盛られている。読者には私が経験した現象面を見る(読む)ことではなく、その現象から何が見出され、何をしなければならないかを自分で考えて頂くことにある。
反省点は、表現力のなさから、上手く私の考えが伝わらないのではないかという不安です。或は誤解されるのではないかという不安。そのためデータをもっと駆使すべきではなかったかとか、きめ細かく日記をつけておけばよかったとか、内容が多岐にわたりすぎ散漫になっていないかと未だに不安です。自信の面から見れば、考え方や解決方法は異なるにしても必ず参考になると考えている。それはだれにでも起こりうる現実からものを見ているからです。