長く海外生活をする著者は、故郷長岡への思いが、人一倍強いものだったと思われる。長岡の英雄といえば、山本五十六だった。
この人物のことをいつか書いてみたいという思いが、結実したのが「黄色い花の咲く丘」だった。ここに登場する「オジン探偵団」は著者の分身といえるかも知れない。
そして、次作もまた「ヤマシタ・コード」とした山下財宝探しである。このオジン探偵団の活躍が話のヤマ場。執筆にまつわるお話をお伺いした。
支刈誠也(しかり せいや)
昭和19年、新潟県長岡市生まれ。
東京大学農学部農芸化学科卒業後、鐘淵化学に就職。
発酵技術研究を振り出しに、食品営業、フィリピンプロジェクト事務局、バイオ関連事業企画部、米国食品子会社、食材開発室に勤務後、退社。
オーストラリアに移住し、製造コンサルタント、食品工場長、生産管理担当を履歴。在、ゴールドコースト。
著書に『誰にでも分かるサラリーマン論』(新風舎)



このたび、山本五十六に関しての小説「黄色い花の咲く丘」を完成させ、五十六観というものをどう見ましたか
今の世だと官僚とか政治家に相当するのしょうが、軍人が威張っている国は駄目になるということを、よくわきまえた人でした。軍政官として歴史を変える力を持った人でしたから、米内さんが五十六さんを軍政から遠ざけたのは、五十六さんを暗殺から守るという意味では正解だったかもしれませんが、日本の国の為には、海軍大臣に指名されるべきでした。そうすれば、日米戦はなかったでしょう。救国の人となることができずに、軍人としての立場を取らざるを得なかった悲劇の人です。稀有とも言える大きな器を、聯合艦隊という小さな器に押し込めてしまった日本は悲劇でした。

それはこれまでの五十六観と違うものなのですか。
五十六さんを神格化した本が多いようですが、私は、むしろ、茶目でひょうきん、博打好き子供好きで部下思い、という俗人的な面を切り口に、国を救う機会を与えられず、滅亡への道に全霊を傾けざるを得なかった憂国の士として書きました。国を憂う心の様を題材に、「戦争」というモンスターの怪を突き、人間の真実、歴史の事実に迫ることが出来たと思っています。

すでに読まれた方の感想等も耳に入っていることでしょう。印象に残っているものは。
ある作家の方から、まるで大家の代表作を読んだような、素晴らしい読後感をいただき、冥利に尽きる思いをさせていただきました。その外には、とにかく面白いと、諸手を挙げて喜んでくださった方、歴史観、世界観を褒めてさった方が少なくありません。肉親が戦争で亡くなったので、いままで戦記物に手を出してことがないという人から、お褒めの言葉を頂戴したり、年配の方から、あの戦争のことでのモヤモヤが晴れましたという感想もいただきました。五十六さんを大叔父に持つ人からも評価されました。有難いことです。

小説を書くに当たって、単なる戦記物ではないもの、という注文をしました。どんなところに苦心があったのでしょう。
史実の隙間を縫ってストーリーを作るわけですから、話の展開に自由度が少ないことがありましたし、史実を入れすぎるとしつこいし、入れないと背景が分かりにくい、その辺りの手加減もありました。編集者のアドバイスを全部取り込んだら、何がなんだか分からなくなったという、お粗末なこともありました。

次に書かれている「ヤマシタ・コード」というのは「山下財宝」の秘密というのか、新しいテーマ、新しい切り口で臨まれたことでしょうが、完成前にいえる、作品の「おもしろさ」という点では。
山下奉文は、五十六さんのように、後世に残る言葉を残していません。カリスマ性もありません。人物を通じて戦争を語るという形ではなく、謎解きを通じ、「戦争を語り、日本人の品格を語る」という内容にしました。フィリピンが舞台ですから、フィリピンに移住を考えている人のための解説を兼ねたり、ハードボイルド的なエンターテインメント性も加味しています。いままでになかった形の「ためになり、考えさせるミステリー小説」です。中身の濃さと面白さを保証します。

支刈さんにとって、小説とはどんなイメージでしょう。書かれてまだ浅いということもあり、これから書きたいテーマもおありでしょうが。
海外から三十年も日本を岡目していますと、腹が膨れることが多く、それのガス抜き、すなわち、日本を語り、日本人を語りたいという思いを小説という形で実現しています。「ヤマシタ・コード」の次は、日露戦争以降の日本人の変節を書きたいと思っています。その後は、熟年層の応援歌的なユーモア小説、そして、エッセーという形になるのかもしれませんが、水前寺清子ばりのサラリーマンの応援歌も書きたいですね。元科学者ですから、文学性に欠けるのが課題ですが、「面白さ」、「ためになる」、「考えさせられる」これを追求していきたいと思います。

少し個人的なことを。現在、オーストラリアにお住まいになるのは、なにか人生の指針のようなものがあったのでしょう。こだわりのライフスタイルというような。
格好よく言えば、個人と個人がベタベタにくっ付いた日本の「オニギリ集団」が嫌になったというか、日本の組織に限界を感じたことですが、外で仕事をしているうちに、日本の湿った気候と人間関係が体質に合わなくなったというのが本当のところです。生涯一ゴルファーであり続けるために、ゴルフが安価にできるところを選んだ、という面もあります。「海外に住むということは、日本を捨てること」と、「ヤマシタ・コード」に書きましたが、「故郷は遠くにありて思ふもの」を実践できる人は、海外に住める人です。