第6回 岳真也さん

70才を過ぎてなお盛んという、作家・岳真也さん。
最近発刊された「行基」が話題になっている。行基は在野の宗教家であったが、奈良時代の業績としては、聖徳太子と対をなす、素晴らしき僧である。庶民のために、行基集団を形成し、ここから道場や寺院を建立し、その数は49院に登った。ほかにため池や溝、架橋など民衆のレベルにあって、すばらしい業績を残している。これは、ある意味、現代の岳真也を照らすものである。


岳真也(がく・しんや)
1947.11月生まれ。慶応義塾大学経済学部・同大学院社会学研究科修了。東京生まれ。
日本文藝家協会理事、日本ペンクラブ理事



まずはデビュー当時のことを聞かせてください。岳先生がデビューされたのは、まだ学生の頃と聞きましたが。

当時、「三田文学」は編集長が遠藤周作さんでしたか。19才のとき、書いた「飛び魚」というのがデビュー作になります。普通の著作集の中には収録されていないのですが、いま読めば、恥ずかしくなるような作品でした。わたしはまだ、慶応義塾(大学)の学生でしたけど、作品への思いは強かったと思います。テーマは世の中から疎外されている孤独な学生、ですか。この「飛び魚」は、二年前の古希記念の豪華本に初めて収録しました。
「三田文学」に処女作を載せていただいた。それがデビューだというのは、初めて「原稿料」なるものをもらったからですね。当時で300円ぐらいでしたか。10代のわたしは、仲間たちと同人誌をいくつか立ち上げてましたね。
同じ頃にデビューしてプロとして活躍されるのが、金井美恵子さん。そのあと、続々と新人たちがデビューしました。中上健次とか、立松和平とか、三田誠広とか。村上春樹とかです。
23才のとき、処女出版の旅行記が出たんですが、例の三島由紀夫の割腹事件の前日、わたしの出版パーティーが飯田橋の出版記念会館で開かれ、散会後はわが家で徹夜で麻雀をやっていました。朝になって、お袋から、「テレビ見て。大変なことが起きている」といわれて、三島事件のことを知りました。
その一方で、永六輔師匠に弟子入りして、テレビ・ラジオの構成台本をいくつか書きましたし、CMコピーのライティングやラジオの深夜番組のパーソナリティ、はてはテレビのトーク番組の司会、演劇活動などに従事してました。フジテレビの番組『真っ平ご免』には糸山英太郎、落合恵子さんとともに出演していました。
さらには、文芸同人誌「蒼い共和国」を創刊し、紀行、文章入門、エッセイなど幅広い創作活動を展開しました。その後も同人誌「えん」「二十一世紀文学」などを主宰していましたね。

執筆活動は、実に半世紀を超えています。
ここで、それぞれの年代の代表作、印象作を教えて下さい。
20代、30代、40代、50代、60代、そして現在。

年代別に整理すると、23才『ばっかやろう』、26才で処女小説集の『きみ空を翔け、ぼく地を這う』、そのあと、37才から38才まで、『インド塾の交差点』をはじめとするインド三部作、41才で一番の代表作といえる『水の旅立ち』、40代の半ば頃から歴史物を多く書きはじめて、51才『吉良の言い分』、57才『福沢諭吉』、65才『幕末外交官』、72才『行基』とつづきますが、著作としての総計は160冊ぐらいあるでしょうか。
 この中で、自信をもっていえるのが、『水の旅立ち』と『福沢諭吉』、そして『吉良の言い分』。ちょうど、そのころNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」(1999年)が始まったこともあり、ベストセラーになるほど好調でした。60代では、「捕物帖シリーズ」をけっこう書いています。このころから、肩書きが歴史小説作家となってきましたね。


先生は意欲的に新作に取り込まれていますが、今度の新作は、明智光秀を主人公にしたものと聞きました。
そこで、次の歴史ものとして、明智光秀に光を当ててみようか、と。

前の『吉良の言い分』とスタンスが似ているのですが、歴史には勝者の論理と敗者の論理がある。赤穂浪士は、ある意味で勝者だが、吉良の立場になって書かれたものは少なかった。敗者にも「言い分」はあろう、が創作のきっかけでした。同様に今回の「光秀」の言い分についても、あるはずと思い、現在、取材・調査中です。


「行基 菩薩とよばれた僧」(角川書店)


昨今の文学賞には、女性に勢いがある印象を受けます。
先日も、芥川賞が、今村夏子さん、直木賞が、大島真寿美さんですね。
若手の男性作家の様子はいかがですか?

若い女性の候補にだけスポットを当ててしまうのは、少し困りますね。
どの世代にもそれぞれの実力者がいて、これを均等に評価してこそ、文学は成り立つ。結果オーライみたいな風潮は好きではありません。
わたしのばあい、若い時に、いろんな賞にふりまわされてきた経緯もあり、自分では「万年候補、岳真也」なんて、思ってました。


お聞きし辛いですが、斜陽・文学となって久しいのですが、このまま、陽は沈んでいくのでしょうか。
仮にそうだしても、夜明けはあるのかと。

バブルの頃は、営業戦略として単行本もまずまずでしたし、文庫本がけっこう数を出していました。普通に初版1万5000とか、2万、そのあとの増刷も同程度の刷り部数でした。
しかし、斜陽文学のトレンドが強まると、単行本も文庫本も冒険はしなくなり、初版も5000部でたら、御の字。このあと、売れたら2刷り、3刷りとつながるが、これは出版社にもリスクがともなっていたんです。つまり、結果として売れなかったら、この分は赤字になるわけですからね。
最近、電車に乗っていても、文庫本を手にする人はほどんどなく、みんなスマホしか見ていません。いま、ようやく電子ブックが伸びているのかな。わたしのところにもまだ、安いけど、印税の振り込みありますよ。
「小説がこのまますたれるか、つぶれていくか」の質問で、昔テレビで、石原慎太郎さんと喧嘩したことがあります。政治家になってしまった慎太郎さんを、慎の小さいやつなんていったら、本気で怒ってきました。「慎」の「小」は、心だ、とね。
「小説とは、心。そしてディテールを細やかに書くから、小説だ」「この精神を失えば、小説ではない」とか、いろいろ言い合いました。


重ねて聞き辛い質問です。
先生は、ご子息を亡くされていますが、「親より先に死ぬ不幸」というのは、親の立場からすれば、実感できるのでしょうか。
連日ニュースで見るようになった高齢者による運転事故、危険運転などで幼い子供達の犠牲もでています。
この現在で、先生のこれからという意味での仕事や目標を聞かせてください。

はい、この歳になって、失ったものは大きい。精神的ショックが大きく、鎮魂の時間がずっとつづきました。そこで「三田文学」と「早稲田文学」に、息子のことを連作しました。この作品はなんとか完成させたい。
たぶん、「逆縁」というタイトルになります。
そのことがあって、落ち着いてまわりを見ると、案外、突然、息子や娘を失った親が世間には多い。老齢者の運転ミスというのも残酷な話。ボクは免許返上しましたが、私が敬愛する加賀乙彦先生も返上されました。免許は停年制にすべきでしょう。 今回の明智の取材で、田舎に行ったのですが、そこにお住まいの老人たちには移動手段がない。バスやタクシーがあるでなし。そうすると、老齢者運転にもなってしまいます。
いまの時代は、格差社会とか、閉鎖社会といわれ、長屋にはご隠居いない、お節介ママもいない。みんながみんな孤立しているのだと思いますね。
ここは政治的な発言の場ではないので、政治色の強いものは割愛します。でも世間の風潮に照らすと、保守も革新もどちらもだらしない。若者もだらしない、いまがよければよいという考えで、大人の社会への関心がまったくもてないでいますよね。
だから、困った老人、女性を助けようという気持ちがないんです。ひとこと声をかけるとか、手をさしのべれば、どれだけの人が救われるか。
私も老人だけど、電車では、もっと年上の人には席をゆずりたいと思っているし、また困った人を見れば、助けてあげたいと思っています。


長時間、ありがとうございました。

(進行・聞き手:宇田川森和) 公開日2019.08.17