第5回 萩原朔美さん

萩原朔美という人物について、一口で称するのはかなり難しい。
ありていにいえば、「朔太郎の孫、葉子の息子」であるが、これを全面に打ち出すことを嫌う朔美先生は、「映像作家ないし雑文家」と自認する。10代の終わり、寺山修司氏と出会い、そこの「天井桟敷」に参加したことが、最初の出会いであり、人生の分岐点。それから次々に新しい分野の開拓と進出を繰り返す。その中で、映像と演劇はもっとも朔美先生にとって身近なものであった。ここから新しい出会いもある。そして多摩美大の教官の道が待っていた。退官まで、30年持続した。

4月の半ば、前橋文学館を訪ねた。萩原朔太郎の生地であり、彼の記念館や、前橋文学館がある。
萩原朔美先生はこの文学館館長で、月の半分はここに在勤である。毎月のように開催されるイベントにおおわらわだ。
多忙の中、幸運にもインタビューにこたえていただいた。


萩原朔美(はぎわら・さくみ)
1946年11月14日生まれ。
日本の映像作家、演出家、エッセイスト。多摩美術大学名誉教授。前橋文学館館長。



先日は、三島慶子さんの詩集「プリズム」の作品評をありがとうございました。

ええ、詩集としてはよくまとまっていたと思います。わたしはいわゆる詩論としての評ではなく、映像作家的な視点から斬り込みたいと思って、あのタイトル「線を削る」としたのです。線は立体を生み出し、やがて絵画へと成長。増殖し続けて、人生という絵が浮き上がる。これが詩のもつイメージだと思います。

先生の摩訶不思議な生い立ちについてなのですが、お話を聞いていると、母と息子という関係ではない、また母の父である朔太郎との関係性もちょっと違うような気がします。

わたしは、正直、文学というものに興味がなかった。母葉子がいかなる小説を書くのかを家の書棚で見ることはなかった。20代後半の時、紀伊國屋書店で、「天上の花」というのを見て、これが萩原葉子の作というのを知ったくらいです。

そのことが、作家の顔ではなく、映像や、演劇の世界に興味をもたれた事に繋がるのでしょうか。
寺山修司氏が立ち上げた「天井桟敷」に参加し、67年に初舞台。
しかし3年ほどで方向転換し、映像の世界へ。

そのころの仲間と会社を立ち上げた。手がけたものでは、パルコ時代に、雑誌や地方の番組、さらには美術・映像へと。いわゆる渋谷系サブカルチャーとして「ビックリハウス」などが注目されるようになった。
そこに、多摩美大の東野芳明氏と出会い、コンテストなどの審査員をお願いしていたら、向こうから、美大の教師に誘われた。

思えば、これが多摩美大・教授として2年前の退官までつづくことになりますね。

学部が映像と演劇を専門とするもので、その間に多数の作品を手がけたが、わたしが映像作家と呼ばれるようになったのは、この時代の仕事です。現在も新しい映像スタイルを模索している。

2年前に前橋文学館館長となった。文学館の公式ページに日記のように綴られている「館長の言葉」というのがありますね。
ここに朔美先生があえて文学を避けてこられた理由のようなものが。

暇な時間にちゃんと自分の仕事しなさいというのである。母葉子の口癖のようになっていた。
以下、「館長の言葉」からの抜粋。
今回の展示のタイトルを「仕事展」としたのは、そんな母親の口癖が反映されているのだ。纏めてみれば、少しは仕事してきたように見えるかも知れない。亡き母親に対しての言い訳のような行為でもあるだろう。
こうして、写真や映像や本を並べてみると、ばらばらなようでいて、ずっと同じ発想で「仕事」し続けていることが自分なりに理解できる。
たとえば映像作品は、映像で映像を解体するような実験的な試みから、エッセイのような私小説のようなものに激変している。アーティストブックも、コンセプト重視から、日常の記録にみえるものに変容している。
しかし、その変化も結局は「差異と反復」という言葉に収斂できるように思えるのだ。
これは、二年前にわたしの個展を見た友人の美学者谷川渥がジル・ドゥルーズのタイトルを引用して言ったことだ。確かに、わたしは定点観測写真のように、同じものを繰り返し観察することで、わずかなズレを出現させることが好きなだ。そのズレは時間の痕跡だったり、時間の忘れ形見であったりする。
変容を観察し変容の度合いを測ることに面白さを見出しているのである。変容というズレのために反復は欠かせない“仕事”なのだ。


先生の著作「母・萩原葉子との百八十六日 死んだら何を書いてもいいわ」(新潮社刊)を拝読しました。
母は母なりに、息子の行く末を案じているので、「ちゃんと自分の仕事をしなさい」といわれる。
ここで、朔太郎のように詩を書くとか、母のように小説を書く、とならなかったのは不思議です。
が、母葉子は違った。つねに仕事をしなさいと語った。
そして、朔美先生は「第四章 不在の感覚」に、「何を書いてもいい」と書いている。

「私の場合は、最終的には、あいつは色々手を出したけど、結局何ひとつものにならなかった、と言われたいと思う。永遠のシロウト、と呼ばれるのが理想なのだ」

この自己否定の感覚は、自己肯定の裏返しではあるが、肯定すべきものが何もないならば、それは成立する。
が、しかし、肯定すべきものがあれば、自己否定はできないという矛盾に立つ。

寺山さんは亡くなるまで、自分を売り込むことに熱心だった。遠い青森からやってきて、一旗揚げようという意識が強かったのだろうと思います。
が、ぼくは東京生まれの東京育ちで、この雑踏で目立つのは格好悪いことだと考えていたので、自分を消そうと努めていた。
ところが、亡くなられてから、寺山修司さんも「自分を消そう」と書かれていたことを知り、ぼくと同じ考えだったのだと気づいた。
ともかく、正体を隠す。自分を隠す。書くこと、表現することで、自己表出するのではなく、むしろ消す。それが表現ということです。

美大の先生を長くされていたわけですから、卒業生も数え切れないほどいて、それぞれの分野で活躍されていることでしょう。

ええ、美術館とかは、けっこう卒業生がいますね。
彼らが、わたし朔美の仕事として、映像とか、演劇、そして新聞などでの連載記事を整理してくれています。

膨大な量ですよ。
先生のこれからという意味での仕事とか目標は。

映像作家とも、エッセイストとも言われているが、ま、雑文家と自認しています。
昔は、画家になろうとか、ジャズドラマーになろうなんて思っていましたが、回りがみんな有名になっていくのに、ぼくだけが使い物にならなかった。
が、演劇とか脚本は現役のつもりでいますので、機会があれば、舞台に出ています。
文学館では、当月11日から朔太郎忌を開いています。
リーディングシアターでは、2019年6月23日、寺山修司「犬神」の上映。わたしが演出担当です。

これからの文学館というのは、イベントなどで盛り上げていきたいとお考えですか。

そうですね、いま全国の文学館は700弱あるのですが、みな苦戦しています。来館者の減少ですが、これ高齢化と、本を読まない世代の深化が関係しています。
小学生ぐらいから本を読まないのですから、大人になって愛読家になるとは考えにくい。
去年の文学館のイベントタイトル(朔太郎忌)が「どこがヤバイの? 朔太郎」ですからね。
意外性と発想の転換とでもいいますか。
全国の文学館の皆さんは、やや頭が固いので、新しい発想での取り組みがない。文豪の名前さえだしておけば、ひとは来るとおもっていらっしゃるが、来ないですよ。


(前橋文学館・展示の様子)

(前橋文学館・展示の様子2)

この前橋文学館での目標についてはいかがでしょう。

初年度2万人、以後、毎年1万人の増員で、今年は6万人が目標です。
文学館がやるべきことは、「文字の素晴らしさ」を伝えること。
たとえば、ぼくは小学生や幼稚園で「読み聞かせ」の実演をしている。子供達が、絵本を好きになってくれれば、必ずや本を読む子に育ってきます。
学校では、文法や読み方、漢字などの理屈を先に教えてしまうので、嫌やになるのです。ぼくがそうだった。
そうではなく、なんの偏見もない世代に、絵本や童話の世界の面白さを伝えることで自然と文字に親しみをもってくれます。
文字の素晴らしさは文学館の大きな役目だと思いますよ。



長時間、ありがとうございました。

(進行・聞き手:宇田川森和)