1962年岡山県生まれ。
早稲田大学文学部卒。
1988年「揚羽蝶が壊れる時」海燕新人文学賞
1991年「妊娠カレンダー」芥川賞
2004年「博士の愛した数式」読売文学賞、第一回本屋大賞
2004年「ブラフマンの埋葬」泉鏡花文学賞
2006年「ミーナの行進」谷崎潤一郎賞
その他、多数の著作。
「妊娠カレンダー」で鮮烈なデビューをした作家小川洋子さんは、その後、次々と話題の作品を発表し、いまや確固たる女流作家として多くの読者層に支持されている。魅力溢れる「小川ワールド」とはどんな世界なのか、創作の裏側には意外な一面も見られた。
(聞き手・リトル・ガリヴァー社編集長 富樫 庸)

物語の世界を伝える小説家としての役割

26歳でデビュー

88年、「揚羽蝶が壊れる時」で、海燕新人賞を受賞された。このとき、26歳かと思いますが、卒業されてすぐに書き始めたのですか。

この作品についてはそうです。何かしらものを書く、ということに関して言えば、子供の頃からずっとその真似事をしてきました。書くことが理由なく好きで、読むことと書くことの区別が自分の中ではありませんでした。書くことで生きていけたらどんなにいいだろうと、夢見ていました。そこで福武書店の「海燕」の新人賞に応募したんです。当時住んでいた岡山に本社があって、なじみ深かったのと、一番新しい文芸誌として、新人を発掘しようという意欲があるように思えたからです。

多くの新人の場合、回りからの影響というか、文芸仲間たちからの刺激を受けて、作品を書くという傾向がありますが。

文芸書などほとんどない家庭に育ったので、家族の影響というのは皆無ですね。(笑)大学に入ってから、文学や小説の話ができる人たちと出会い、その影響もあって自分にはどんなものが書けるか、書きたいかが見えてくるようになりました。

偶然でしょうが、早稲田出身の作家がよく目立ちます。ここは慶応出身と少し違うのだという気もしますが。

早稲田の場合は、学生の人数も多いですし、それぞれの学生の個性の幅が広いと思います。ある意味、キャンパスが混沌とした文学的「場」となっていました。

先生の卒業された前後では、どのような方がおいでですか。

えーと、わたしも余りお付き合いはないのですが、少し下には角田光代さん、上だと、荒川洋治さんがいらっしゃいます。

「海燕」新人賞からすぐに「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞されました。勢いに乗ったというのも凄いのですが、なにかきっかけのようなものがおありだったのでしょうか。

新人賞から芥川賞までは、一番死にものぐるいで書いていました。「海燕」の編集者たちにも鍛えてもらいました。1行目を書いてもまだ、これから先いったいどうなるのか見通せないし、まだ技術もないし、怖くて怖くてしょうがない時期でした。そのうち、遠くのほうに芥川賞が見え、候補にもなりましたが、自分ではそれどころではないという感じで、とにかく書くことで精一杯でした。

「妊娠カレンダー」は最初、「文学界」に発表されたのですか。

はい、そうです。

芥川賞候補というのは、「文学界」とか、「新潮」「文芸」「群像」などに限定されているようですが

最近、わたしは芥川賞の選考委員になったのですが、選考の方法は公平ですね。

特定の雑誌から選ばれるということはないのですか。

選考する側からはそのようなことはありませんね。日本文学振興会というところから選抜(粗より)されますが、どこの雑誌からというのは余り関係ないと思います。川上未映子さんが初めて候補になったときは、「早稲田文学」でしたから。

目に見えないものを見せる。

芥川賞受賞から、2004年の「博士の愛した数式」まで、10年以上の期間がありますが、先生にとっての印象深い作品というのはいかがですか。

どの作品も同じぐらいの力をこめて書いています。短編集でも長編でも、書き下ろしでも連載でも同じです。
ある特定の作品だけに思い入れが深いというのはありませんね。

2004年、「博士の愛した数式」で、読売文学賞を受賞。世間では、「小川ワールド」「小川マジック」などと称され、一段と先生のお名前が知れわたった。この作品は、数学と小説の組み合わせ、意外な組み合わせのような気もしますが、導入から書き上げるまで苦労はされたのでしょうか。

目に見えないものを、目に見える形に結実される力が小説にはあると思うんです。わたしの力でどうこうしたというのではなく、もともと小説という器にはそういう底知れない奥深さがある。一見、相反するものでもひとつの世界にしてしまうような力。そのためにこそ小説があるのではないでしょうか。
極端にいえば、小説の中では生きている人と死んでいる人が会話していても許されます。

これまでの作品には持ち込めなかったテーマや題材がこの作品をきっかけとして、成功したのではないと思いますが。

わたしの中ではいままで書いたことがないものに挑戦したという意識はほとんどなかったのです。きっかけは、藤原正彦先生がNHK教育テレビで天才数学者たちの生涯を語っていらっしゃる姿が余りに小説的で、ドラマチックであったことです。天才数学者たちが発明した数式が、いかに美しく、他方、かれらの人生がいかに不幸だったか、そういうことを語る藤原先生の姿を拝見し、数学は物語になるなと確信しました。
数式だけをぽっと見せられても意味も分からないし、それがどういうふうに役立つのかも分かりませんが、それを発明した人間の側からだったら、小説になるなと思ったのですね。
タイトルは「数式」となっていますが、数学者という人間を描くことであれば、なんの問題もないと思いました。

作品の中に登場する、80分しか記憶がない博士や家政婦さん、その息子のルートくんなど、登場人物の造型には独特のデフォルメされた工夫を感じましたが、それらは創作上のコツのようなものなのですか。

まず、数学者を書きたいと思ったとき、わたしには専門知識がないので、数学者を語り手にしては書けない。そこで数学者のそばにいて、その人を観察できる立場として、「家政婦さん」を思い浮かべました。で、博士と家政婦さんとの関係を考えたとき、作品では「友愛数」を使い、あなたの誕生日とわたしの腕時計に刻まれた数字は友愛数なんだと教える。それまで数学のなんたるかも知らない家政婦さんは、感動するわけです。博士の家で食卓を囲み、そこへ夕日がさし込んでくる。二人の間にはチラシの裏に書かれた友愛数が横たわっている。それを描写していけば、二人がどんな人か、彼らの関係がどういうものか、自然と見えてきます。
また、家政婦さんの息子ルートくんと博士という世代の違う人を結びつけるに当たって、野球を持ってきました。タイガースの帽子を被った少年というふうに設定し、その出会いから博士との関係が広がってゆきます。
つまり、人物造形をまず作者が自分でするわけではないのです。物語の側が、どういう人物を必要としているか、それを導き出すのが作者の仕事です。

先生の作品の特徴として、登場人物の名前とかの呼称は大事ではなく、その人物の属性である、博士、家政婦、ルートというものを抑えて描くというふうに、既存の作品にない、逆の手法で書かれていませんか。

名前を付けるのは難しい問題です。名前をつけた途端、その登場人物には生まれてからここへたどり着くまでの歴史が発生します。それを背負い込むだけの勇気が私にはまだないだけのことかもしれません。むしろ、博士、とかルートといった記号を用いた方が、余分なものをそぎ落として、その人をより生き生きと描ける気がします。

俗な質問なんですが、阪神タイガースのことを書くというのは、先生がファンだとか、よく野球を見られるということと関係しますか。

わたし自身、野球は好きで、阪神ファンなのです。家には昔のスポーツ雑誌がいろいろと置いてあります。「博士」ぐらいの世代なら、江夏豊ファンだろうなという程度の意識で江夏を登場させたのですが、その彼が、完全数28を背番号につけていたとは、自分でも驚きでした。全くの偶然の発見です。
その発見と出会ったとき、この小説は仕上げられると思いました。

「完全数」というのは、書く前に分かっていたことではなく、書いている途中で気付いたということですか。

ええ、書く前には分かっていません。

作品を拝見していると、野球マニアみたいな切り口が、当時のわれわれの世代に流行った切手マニアとか、コレクターの世代と相通じるところがあります。読み手として見ると、作品の中の設定と近いものであることがより作品に親近感を持てるということでしょうか。

あの作品の読者アンケートによると、たとえば、うんと若い10代の大学生とか高校生ぐらいの人たちの感想はルートくんに添っているのですね。だから、ルートくんはえらいと読み、大人は博士がえらいと読む。あんなふうに子供を絶対的な愛で可愛がる博士は凄い。ところが、10代の視点から読むと、あんな社会的弱者である博士のことをほとんど無意識に理屈抜きで受け入れているルートくんこそえらいと読んでくれるわけです。

最近、村上春樹さんの「1Q84」が話題になり、読売新聞がインタビューを掲載しています。で、いまのお話と関連し、村上さんが読者を意識されて小説を書かれているという発言があります。しかも60歳になる村上さんが若い頃の作品と共に、読者も年を重ねて、村上作品を読み続けるという流れと違うものを意識されるという。つまり、今回の作品もそうですが、20代の若い人に向けての作品を書かれたというのですね。これは意外でした。

やはりそれは題材によると思います。

小説には小説の言語がある。

村上インタビューでわたしなりにチェックし、気になったことは、小説言語に関して、「言語とは、誰が読んでも論理的でコミュニケート可能な「客観言語」と、言語では説明のつかない「私的言語」とによって、成立している」というウィトゲンシュタインの定義を引用され、「私的言語の領域に両足をつけて、そこからメッセージを取り出し、物語にしていくのが小説である」と発言されています。この点、先生はどう思われますか。

これが「小説の言語である」という基準はよく分からないのですけど、しかし、人間が普段喋っていることを書き写しても絶対に文学にはならないし、あるいは若い人がケータイでやりとりしているメールやブログで書いている文章を紙に印刷すれば、小説になるかというとそうではない。小説とか、物語を語るにふさわしい言語とか文体というのはあると思います。 その言語や文体を獲得できるかどうかが作家にとって非常に大切な能力になるのでしょう。

その意味で、先生の場合、初期の作品とここ数年の作品では、文体・言語に関してのブレというか、揺れはありますか。

それはありますね。変わりました。やっぱり若い頃は、愚かですね。若い頃は、自分がそれほど賢くもないのに、それを見せたいという意識がありましたね。40も半ばを過ぎると、自分がそれほど賢くないということが重々分かりましたので、むしろこういう世界があって、博士みたいな人が生きているんですよ。と、これを読者に伝える立場としてわたしがあります。
要するに自分がどういうふうに考えているとか、自分がどういう思想をもっているかとか、自分自身がどんな知識をもっているかというのは読者にはなんら関係ない。
わたしが伝えたいことはこの世界であり、その世界をみんなが読めるように言葉に置き換えるという役割に徹すれば、自ずと自分の目指す文体も変わってきます。

つい最近「猫を抱いて象と泳ぐ」という作品を拝見しました。これはチェスの世界を少年の目を通して描かれたメルヘンな世界。この作品はどのようなきっかけで書かれたのですか。

チェスの元世界チャンピオンに、ボビー・フィッシャーという変わり者がいて、その人が日本に不法滞在していたんです。そこで、その人が母国アメリカに強制送還されそうになったとき、羽生さんがときの政府に嘆願書を書いた。ボビー・フィッシャーは人間的には誉められた人ではないかもしれないけど、かれの残した棋譜は、モーツアルトのように、繊細で優れたもので、人々を感動させるものです、と書いた。結局、フィッシャーは希望したアイスランドに行きます。
この話をお聞きし、棋譜が美しいと称されるものなら、小説になると直感しました。ここは作家的勘で、将棋や囲碁ではなく、チェスのほうが書きやすいのではないかと思いました。

チェスに関しての下調べをけっこうされたようですが。

ええ、それは全く苦になりません。チェスをうまくなりたくて勉強するのと、小説を書くためにチェスを勉強するのは、全然違うことです。チェスを自分でやるために覚えようとすると苦痛だったと思うのですが、小説のために覚えるというのはとても楽しいことでした。それは数学のときでもいえますが。
ですから、わたしはいまだに「オイラーの公式」の説明はできませんし、チェスの駒の動きも忘れたくらいです。でも小説は書けるということがよく分かりました。さっきも言ったように作家は、伝達者ですから、チェスの名人でなければ、チェスの話が書けないということではないのです。

先生のプロフィールでは、過去、文学賞という賞を総なめされるような活躍で、作家としてもなにか神業的でもありますが、小説とはこう書くんだよという宝物を密かに手に入れたのではないかという気もします。

いえいえ、そんなことは関係ないです。賞というのは巡り合わせです。わたしが賞をもらって嬉しいのは編集者が喜ぶからであって、それ以上の大きな意味はないのです。

先生のお話から、原稿を受け取る編集者は仕事がやりやすい。それに原稿も完璧に仕上げて提出されるのではないですか。

そうですね、わたしはゲラ(※)で直すのは嫌いですね。
原稿を書くのは遅いほうだと思いますが、渡してしまったあとは早いです。原稿を書いていて、途中ここは適当に流してあとで直そう、ということが性格的にできないのです。でも、脱稿したあと、とりあえず原稿から離れたという達成感はあっても、やはり当然、後悔は残ります。
※初稿刷りの事。

わたしの中で、といっても少ない読書量ですが、先生の作品から受ける印象として、男性よりも女性が読みやすい世界が描かれていると思われるのですが、この点は。たとえば、チェスはある意味、理屈があって成り立つゲームですが、それを用いて描かれる世界は、とてもファンタジックで、先生独自のイメージのふくらみ、やさしさのようなものが感じられ、これは男性作家の筆致と違うという気もしました。

書いているときはほとんど意識していないですね。執筆中、性別はどんな局面においても、さほど重要な意味をなしていません。

この作品は今年(2009年)の作品ですが、先生はコンスタントに書かれるほうなのですか。

いままでは比較的コンスタントだったのですが、これからは少しゆっくりしようかと思っています。

最後の質問です。われわれのような仕事では、まだ未知数の新人たちの原稿を受け取り、その真贋を見極めて答えを出したり、あるいはアドバイスを送ったりすることが多いのです。先生の立場から、いまの若い人たちへのアドバイスをいただけるとしたら、どんなことを。

もし、わたくしのような者が言えるとしたら、まず執念深く書くことを奨めます。途中で諦めない。ひとつ作品を書き始めて、途中で止めてしまい、また次の作品を書くということをやるかぎり、どこにもたどり着けないと思います。
ひとつ書き出したら、最後まで絶対諦めない。その作品がどういうものになるかを、完成前に自分で決めてしまわないことです。
毎日、机の前に座れば、小説は完成する。けれど、毎日、その前に座るのが嫌だと思ってしまう。自分の未熟な小説に付き合うのが辛いということに耐えて耐えていく。すると、あるとき、自分の知らない世界に飛び出し、新しい扉を開けているということが起きるのです。それは書いているときには気づかず、あとから分かるものです。あのとき、自分は違うレベルに行ったのだと。

長い時間、ありがとうございました。

(聞き手:富樫 庸(リトル・ガリヴァー社編集長) 2009年6月25日収録/2009年7月4日公開)